みなさんこんばんは。上司と中華料理屋で飲み会をした時に、ファーストオーダーで麻婆豆腐を頼み、こっぴどく怒られたしんちゃんです。
#まずはスピードメニューからだろ
#だってピータンとか食べたくないもん
さて本日は「スマホが消えた世界に興味がある」について書いていきます。
不便が作るエンタメ
今、本業とは別に小説制作をしているわけですが、そのテーマが結構面白いんですよね。
コンセプトは、「便利になりすぎた世界から、スマホなどの電子機器が一切使えなくなった世界」です。(冒頭無料公開中のインスタグラムはプロフィールから確認できます。)
今、この社会を生きてみて、便利さにありがたみを感じる一方で、心のどこかしらに「便利すぎるなぁ」という感情が住み着いていて。不便が作り出すエンターテイメントは必ずあるわけで、そこにワクワクしている自分がいるんです。
例えば、学校の修学旅行なんかがそうですよね。以前もお話ししたんですが、僕は中学の卒業旅行先が鹿児島でした。その時の鹿児島のご飯や景観は一切心に残っていないんだけれども(マジで)、夜にホテルで友達と話した恋バナは今でも鮮明に覚えています。
後はそうだなあ、その当時のお土産選びも記憶に残ってます。親から貰った3千円を、どううまくやりくりして、お土産を買って帰るかという不便さが、その時は窮屈だったけど(もっとお金があればいいのにと思ってたけど)、記憶に残っている。
#結局ご当地キーホルダーに全BETしてお母さんに怒られたっけ
あれの何が良かったかって、「先生に見つかったら怒られる」「お土産代が3千円しかない」という、制限=不便が作り出したエンタメで、ドキドキしながら楽しんでいた記憶が今となってはいい思い出になってるんです。
仮に今、仲のいい友人を連れて鹿児島に行ったとして、あの時よりも楽しめる自信がないんですよね。それは僕たちに自由という無制限な環境が邪魔をしてきて、ワクワク感に制限がかかっちゃうからだろうなと思います。
#鹿児島はいいところです
#桜島噴火するし
じゃあもし今、不便さを感じる空間ができた時に、あの頃感じた強烈な面白さを取り戻せるんじゃねえか?という少年心が、僕を小説執筆に駆り立てています。
目を見てありがとうと言える子供
小説の中身は、「昔ながらの村→技術発達して最先端のサービスを受けることができた村→あることがきっかけで昔の不便な環境に戻った村」を辿る内容となっています。オンライン上で集客できていた飲食店は、もう一度人と人との対面で売っていかないといけなくなったり、完璧な整備体制のもとで運営されていた交差点も、人が譲り合って感謝の言葉を交わす場所になると思っています。
人の凄さは知能だとは思うけれど、言語や文字を駆使した「コミュニケーション」がこの文明の根源であることは間違い無くて、そこが薄れていっていることに虚しさを覚えます。
便利さに制限をかけることで、昔あった良さを取り戻したいと本気で思っています。とはいえ、今の社会が素晴らしいことも事実。だからあくまでもコンテンツの一部として「不便な空間」をこの社会のどこかに作り出そうと思っています。
最初のアプローチは小説になると思いますが、このストーリーをたくさんの方に共感していただき、最終的なゴールとしてはファンタジー(小説)とリアル(現代社会)の境界線を曖昧にして、小説の世界を現代に作り出そうと思っています。
#ゴールを共有しておくことは大切
そういえば今朝、マンションを出る時に子連れの親子と行き帰りが重なって。マンションのドアは手動で開けるタイプなので、僕が開けてお二人を先に通したんですよね。するとお母さんは会釈だけだったけど、子供は僕の目をしっかり見て「ありがとう」と笑ってくれたんです。
多分その時、気持ち悪くニヤついたので、お母さんもさぞかし怖かったでしょうが、僕は「やっぱこういうことだよなぁ」と思いました。もしかしたら小さな子供には必要ないかもしれませんが、人と人とがもっと寄り添い、想い合う、そんな空間が作れたらなと本気で思っています。
ターゲットは30代から50代ですかね。自分と同い年やそれ以下は考えてません。共感薄いと思うし。だから小説も紙で出版する予定です。たくさんの人にこの話が届くように、めちゃくちゃ頑張ります。
置かれた環境にとやかく言っても仕方がないので、自らの手で環境を変えにいきましょう!
あ!
いいね、コメントよろしくお願い致します!!
それでは!
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